毎年多くの人が楽しんでいるお花見。
満開の桜を見ては、その美しさとはかなさに感動します。
さてそのお花見はいつの時代から始まったのでしょうか?
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■花見の起源は奈良時代?
花見は元々、農作物の豊作を祈願して行わていました。
それが現在の花見に近い形として行われた最初は、奈良時代と言われています。
その頃は中国から伝来したばかりの梅を鑑賞していたそうですが、平安時代になり桜に代わったそうです。
遣唐使が廃止されたことを象徴に平安後期になると中国の影響から離れ、日本独自の文化が生まれ始めてきていました。
その様子は書物からも読み取ることができます。
『万葉集(※1)』では桜を詠んだ歌が43首、梅を詠んだ歌が110首程度にたいして、10世紀初期の『古今和歌集(※2)』では桜が70首に対し梅が18首と逆転しています。また「花」が桜の別称として使われ、女性の美貌が桜に例えられるようになるのもこの頃からとされています。
※1 万葉集:7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集。
※2 古今和歌集:10世紀初期、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。
■貴族から武士、庶民にも広まったお花見
鎌倉・室町時代に入ると、それまでは貴族の行事とされていたお花見が武士階級にも広がり、江戸時代には広く庶民にまで広まっていきました。
このころには桜の品種改良も行われるようになり、最も名高い花見の名所は、現在も桜の名所としてにぎわっている上野恩賜公園の桜です。
出典元:wikipedia
■ソメイヨシノにより全国でお花見が
しかし明治時代に入ると桜が植えられていた庭園や大名屋敷は次々と取り壊されてしまい、江戸時代に改良された多くの品種も絶滅の危機に瀕しましたが、植木職人・高木孫右衛門により、84品種を自宅の庭に移植して絶滅を免れました。
そして品種改良された桜の中の一種、「ソメイヨシノ」は、明治以降、沿道や河川敷、公園、学校などに植えられ全国に広まり、今では日本人のアイデンティティといってもよいほどの存在となっています。
出典元:wikipedia
このようにサクラは時代時代にあわせてその様相を変えながら、人々に愛され続けてきました。
日本人にはお花見を楽しむアイデンティティがあるのかもしれませんね。